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11日〜忘れない〜

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11日~女川を訪ねて

Gold Wingでは毎月11日に被災地に寄り添い、あの日を忘れないという思いを込めて記事をアップしていきます。

今月は、アイスショーで仙台を訪れたメンバーさんからの投稿を紹介させていただきます。

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FaOI仙台楽日はショーは見ずに、仙石線・石巻線で女川を訪ねました。
石巻までは、ボランティアで訪れたのをきっかけに何度か足をのばしました。
女川について知ったのは、結弦さんを通して知り合った、仙台の友達のブログです。
女川出身のゆづ友Aさんは、東日本大震災の津波でご両親とご実家をなくされました。
そして、亡くなったお母様のご遺体はセキスイハイムスーパーアリーナ(グランディ21)に安置されたそうです。
つい先日、華やかなアイスショーが行われたあの会場、2012年のN杯も開催された場所。
何度かAさんとお会いしてお話しする機会がありましたが、ご両親の突然の死に辛い思いをしていたことは感じさせない、明るくてやさしい方。
また、仙石線が全線開通した際は、Gold WingのHPに手記を書いてくださいました。
仙石線~母の思い出
いつかAさんのふるさと、女川へ行ってみたい!
結弦さんが繋いでくれたご縁(FaOI仙台)で今回、思い立って女川を訪れることができました。

仙台から仙石東北ラインで石巻へ(約1時間)、石巻から石巻線で女川へ(約30分)
被災した旧女川駅より内陸へ移動した新しい女川駅は、木のぬくもりを感じる素敵なフォルムです。

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駅前から海を臨む新しい商店街(シーバルピア女川)が見えます。
この日は抜けるような青空と輝く海。新しい街並みを見ていると、津波で被害を受けた面影はありません。海が近い街だと思いました。
まず、海に行こう!
シーバルピアを抜けて、海の方へ歩いて行くと、旧女川交番が、まるで時が止まったかのように横倒しになっていました。

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新しい駅や商店街からは想像もつかなかった津波の被害の大きさ。
少しの間、ここから動くことができませんでした。  合掌

Aさんに教えていただいた事を思い出し、地図を見ながら女川町役場へ向かいます。
町役場の海を臨む丘に東日本大震災慰霊碑が建立されました。

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ここに刻まれた854名のお名前の中に、Aさんのご両親のお名前がありました。
静かに手を合わせました。
長い石碑に刻まれたたくさんのお名前、女川町の津波被害の甚大さに胸が痛みました。
女川町東日本大震災記録誌

震災の時、境内の階段に大勢の方々が避難した熊野神社、高台の新しい道を登っていきましたが、階段や神社らしきものが見つかりません。
道を間違えたかな?と道なりに登って行ったら、女川湾を一望できる場所がひらけてきました。
新しい家がならぶ造成地の一番上の看板に新しく建立される「熊野神社」の文字が!
ここだったんだ!
震災当時、階段を登って避難するのは大変だっただろうと思います。しばらく、そこから女川湾を眺めていました。穏やかなキラキラと輝く海がとてもきれいでした。

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新しい女川小・中学校の工事現場の近くで目に留まった横断幕(女川地域医療センター)

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「女川は流されたのではない
新しい女川に生まれ変わるんだ
人々は負けずに待ち続ける
新しい女川に住む
喜びを感じるために」
震災当時の小学生が書いた詩、力強い言葉。

少し歩いて疲れたので足湯で一休み、ふー、癒される。
向かいに座っていたご婦人に「どこから来たの?」と聞かれたので、「神奈川です。」と答えました。
その方は、南三陸町志津川から近所の方々と来られたそうです。南三陸町志津川も甚大な津波被害を受けた町です。
駅の休憩室では、女川駅付近の方と南三陸町から来られた方々がお話をされていました。
津波は20メートル以上だったこと、津波で自宅を流されてしまったこと、近所の方のご遺体の確認をしたことなど、震災直後の生々しい証言の数々・・・貴重なお話をありがとうございました。

朝早く仙台を出発したので、お腹もへりました。
Aさんから教えていただいたお店へ。
海鮮丼も穴子天丼も両方楽しめる欲張りセット、ありました!
海鮮の種類が多く新鮮、穴子の天ぷらもサクサクで、穴子はふわふわでとても美味しかったです!

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ごちそう様でした!
食後、電車の時間を見ながら、シーバルピアを見ました。
お土産、海産物、工芸品、カフェなど28店舗、海側のハマテラスには海鮮を中心にした8店舗、とてもきれいです。お土産は、なかなか決められなかったのでこの日の青空と美しい海を目に焼き付けました。
石巻線の電車は2時間に1本なので、短い時間でしたが、仙台へ向かいます。

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電車の中でいろいろ考えました。
女川は「復興のトップランナー」と呼ばれている。
新しい駅、役場、道路、宅地、家、商業施設・・・
こんなに全部変わってしまうと、思い出のある懐かしい場所が、今ではどこだったかさえわからないのではないか?
Aさんのブログで拝見したご実家もどの辺りか、分かりませんでした。
私は諸事情で、実家をなくしました。帰る場所がないというのは、さびしいことです。
また、駅周辺と熊野神社付近しか歩いていないのでよく分かりませんが、生活に必要なスーパーなどが見当たりませんでした。地元の方々は、どこで買い物しているのだろうか?コンビニは1軒ありましたが。このような短い滞在では、地元の方々の生活を知ることは難しかったのです。
復興とは何だろうとか、部外者の私に何ができるのだろうか考えました。こうして被災地を訪れ、自分の目で見たことや学んだことは、とても貴重な経験だと思いました。

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メンバーの皆様へ
新聞記事やニュース等で被災地の話題があったら教えてください。
「こんな記事があったよ」「テレビでこんなこと言ってたよ」など、ちょっとしたことでいいので何か見つけた方はこちらへ。

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